モルゴンヌウゾッツの戯れ

アラサーが、考える。健康とは、美容とは。あわよくばモテたい、と。

沙悟浄よりも猪八戒

遂にこの世の中の料理の完成形、チキン南蛮について言及したついでに、もう少しその魅力について補足する。
 
先般はサラリと流してしまったが、チキン南蛮の魅力を語るに当たり、甘酢の存在は避けて通れない。しかし世の中には、甘酢を潜らせずにチキン南蛮を騙るものも居る。そうした輩は、「タルタルチキン」と名乗るならまだ可愛い方で、堂々とチキン南蛮を名乗る悪党も散見される。筆舌に尽くしがたき悪行である。
 
しかも、チキン南蛮と名乗るが故に、我々のようなチキン南蛮フェチはいとも簡単にその悪に騙される。メニューにその文字を見つけるだけで、「おるぽぷちきぷりゅりゅー!!」となり、店員を即座に呼びつけ「ちぇきのんば、ちぇきのんば!」と叫び、は?と言われて「あ、あの……コレください」「あ、天ザルじゃなくてその……、コッチの」「そう、そうです、ちぇきのんじゃなくてチキン南蛮……美味しい」となる。
 
そうして、ここまで恥をかいて、忍び難きを忍んだ上で供されるものが、揚げた鳥にタルタルをぶっ掛けただけの紛い物。その時の衝撃や如何に!?こうなると、ただ乱暴に「コンニャロ、チキショメ」肉を掴んで口に運び「ナンデオレガ、チキショメ」無感動に頬張り「ナキテエヤ、コンニャロメ」意味もなく咀嚼を続け「ウメエ」味わう事もなく飲み下す。無機質に、ただそれだけを繰り返す。味気ない食事、いや作業。
 
私は、こんな紛い物を許さない、絶対に許さない、月に一度くらいしか許さない。それ程に甘酢は大事である。
 
甘酢は適度な粘性を持ち、濃厚にチキンに絡みつくことができる。ゴロゴロとしていて、チキンから滑り落ちがちなタルタルに対して、「お前には俺がいるからさ」とそっと手を差し伸べるに飽き足らず全身に執拗に絡みつく。
 
だからと言って、皿に載せたら乾かなくて良くね?とばかりに、沙悟浄の頭の皿の上に甘酢を載せてはいけない。なぜならば、甘酢は甘酢ですぐ乾く上に、乾くとネチネチとひっつく。そしてついでに言うならば、沙悟浄は河童ではないから皿は無いし、乾いても死なない。なので、かけるなら猪八戒の方にしておいた方が良い。
 
私はこう思うのだ。チキン南蛮を、豚肉で作ったら、ヤバくね?
なので、かけるなら猪八戒の方にしておいた方が良い。多分きっと、そうなのだ。
 
いつかきっと。そう願いながら、私は今日も吉野家に……行かずにジムに行くことに成功した。良い日だった。
 
こんな日が続けばいいのにと思ったが、よく考えれば今日は晩御飯を食べていない。食べたい時に食べられない、これもまたチキン南蛮の魅力である。