モルゴンヌウゾッツの戯れ

アラサーが、考える。健康とは、美容とは。あわよくばモテたい、と。

桜の思い出

花見と言えば桜であることは、もはや日本では常識でしかない。ただ、私は「花を見に行こう」と誘ってオオイヌノフグリを見せつけられるような、そんな立派なナイスミドルになりたい。
 
と言う訳なので、ナイスミドルの一歩手前を自認して止まない私は、大人しく桜を見に行くことにした。東京の桜は満開であると偉い人が言ったそうだが、千葉の堤防沿いの桜は五分咲きというところであった。
 
満開に至らんとする、まだまだ控え目な桜花を前にして私たちは悟った。まだまだ、春だからと言って乱痴気乱痴気と騒ぐべきではないと。そうして優雅典雅を心に秘めて、そっと炭に火を着けた。
 
さあ、始まりました、今年もやって来ましたバーベキュー!!炭焼き、肉焼き、海老も焼き、今宵も貴方は缶チューハイ!はい!飲んで飲ーんで飲んで、飲んで飲ーんで飲んで、飲んで飲ーんで飲んで、飲めや!シバクぞ!はあ?今日は暖かいから日焼けが心配?お前なあ、紫外線やぞそんなもん。お前の目の前には何がある、炭や!炭コラァ!シバクぞ!炭が燃えたら、遠赤外線や。分かるやろ、相殺や、相殺!分かるやろ、「+」と「-」、かけたら「-」やどアホ!ンガハハハハハハ
 
と言うように、そっと花を愛でる、大切な時間であった。
 
しかし、それからと言うもの妙に胸が焼ける。何と言うかこう、常に満腹感と幾ばくかの不快感が居ついてしまっているような感覚が続いている。何故なのか一向に見当がつかない。「豚トロって燃料にもなるから一石二鳥だよね」とはしゃいでみたり、アメリカのBBQのように塊肉を並べてみたり、見栄えが良いという理由だけでウインナーを敷き詰めてみたりしたが、一向に見当がつかない。
 
弱り果てた私は、昼に失意の中で回鍋肉をつまみ、一頻り後悔した後、晩御飯をイチゴだけにしてみた。
春先のイチゴの何とも甘やかなことよ。酸っぱさを殆ど感じさせることもなく、まるで砂糖菓子のように糖度の高いイチゴ、私の胃を容赦なく攻め立てた。まさか回鍋肉だけでなく、イチゴにまで裏切られるとは。
 
そういうわけで、私は今多少悲しい。
この悲しさを、桜を見るたびに思い出すのであろうか……。
 
春は常に、少しだけ切ない季節である。

沙悟浄よりも猪八戒

遂にこの世の中の料理の完成形、チキン南蛮について言及したついでに、もう少しその魅力について補足する。
 
先般はサラリと流してしまったが、チキン南蛮の魅力を語るに当たり、甘酢の存在は避けて通れない。しかし世の中には、甘酢を潜らせずにチキン南蛮を騙るものも居る。そうした輩は、「タルタルチキン」と名乗るならまだ可愛い方で、堂々とチキン南蛮を名乗る悪党も散見される。筆舌に尽くしがたき悪行である。
 
しかも、チキン南蛮と名乗るが故に、我々のようなチキン南蛮フェチはいとも簡単にその悪に騙される。メニューにその文字を見つけるだけで、「おるぽぷちきぷりゅりゅー!!」となり、店員を即座に呼びつけ「ちぇきのんば、ちぇきのんば!」と叫び、は?と言われて「あ、あの……コレください」「あ、天ザルじゃなくてその……、コッチの」「そう、そうです、ちぇきのんじゃなくてチキン南蛮……美味しい」となる。
 
そうして、ここまで恥をかいて、忍び難きを忍んだ上で供されるものが、揚げた鳥にタルタルをぶっ掛けただけの紛い物。その時の衝撃や如何に!?こうなると、ただ乱暴に「コンニャロ、チキショメ」肉を掴んで口に運び「ナンデオレガ、チキショメ」無感動に頬張り「ナキテエヤ、コンニャロメ」意味もなく咀嚼を続け「ウメエ」味わう事もなく飲み下す。無機質に、ただそれだけを繰り返す。味気ない食事、いや作業。
 
私は、こんな紛い物を許さない、絶対に許さない、月に一度くらいしか許さない。それ程に甘酢は大事である。
 
甘酢は適度な粘性を持ち、濃厚にチキンに絡みつくことができる。ゴロゴロとしていて、チキンから滑り落ちがちなタルタルに対して、「お前には俺がいるからさ」とそっと手を差し伸べるに飽き足らず全身に執拗に絡みつく。
 
だからと言って、皿に載せたら乾かなくて良くね?とばかりに、沙悟浄の頭の皿の上に甘酢を載せてはいけない。なぜならば、甘酢は甘酢ですぐ乾く上に、乾くとネチネチとひっつく。そしてついでに言うならば、沙悟浄は河童ではないから皿は無いし、乾いても死なない。なので、かけるなら猪八戒の方にしておいた方が良い。
 
私はこう思うのだ。チキン南蛮を、豚肉で作ったら、ヤバくね?
なので、かけるなら猪八戒の方にしておいた方が良い。多分きっと、そうなのだ。
 
いつかきっと。そう願いながら、私は今日も吉野家に……行かずにジムに行くことに成功した。良い日だった。
 
こんな日が続けばいいのにと思ったが、よく考えれば今日は晩御飯を食べていない。食べたい時に食べられない、これもまたチキン南蛮の魅力である。

東夷、北狄、西戎、チキン

昨日、滔々連々と豚肉に対する熱い思いの丈をぶち撒けたので、そろそろ本題である鶏肉について語る頃かと思う。
 
一応、このブログのテーマとしてちょくちょく登場させている「筋トレ」と言う元気モリモリ体操の一種にとっても、鶏肉は重要なキーアイテムである。例えば、筋トレ中何食べれば良いですか?という質問に対して、殆どの回答に鶏のささ身が含まれる。タンパク質含有量がウンタラカンタラ、低カロリーがウンタラカンタラ、それでいて価格がウンタラカンタラ、コンタラキンタラという具合だ。
 
また、筋トレにつきものの疲労にも、鶏の胸肉が役に立つ。大空を舞う鳥は、羽ばたくという行為を続けるからこそ飛び続けることができる。その疲労への強さ、回復力は恐るべしであるからして、胸肉を食べれば疲労は失せる!と言う実にわかりやすい理論である。実際にそう言う理由でそう言う栄養素が入っている為、疲労には良いらしい。例え地を這う鶏の胸肉であれ。
 
といったような理由があるから鶏肉が好きなのかと言うと、別にそんな訳はない。ただ単純に私がチキン南蛮大好き人間であるだけの話だ。
 
私は、チキン南蛮の事を「料理の完成形」と呼んで憚らない。まず、チキンを揚げる。コレだけで調理過程としては唐揚げに匹敵する。そこに甘酢を絡める。唐揚げ甘酢がけに比肩したところへ、何とタルタルソースをまぶす。何と言う事か!!ここまでされては、これ以上先に進めることはできない。茹でる、蒸す、焼く、罵る、全部NOだ!その汚い手でチキン南蛮に触れるな!
 
そしてそもそも味がいい。肉々で塩っぱく甘酸っぱいトコロヘタルタルしている。食感がいい。カリサクジュワにトロンのタルタルである。ああ、チキン南蛮が食べたい、今すぐ食べたい、しかし今日も私は吉野家。多忙が憎い、仕事が憎い、良く寝る体が憎い。
 
もっと生活に余裕とチキンの南蛮を。
コレが私の座右の銘である。

牛山、鳥川、豚野郎

「牛か、鳥か、豚。一生食べられないとしたら、どれ選ぶ?」
 
と、聞いてくる人間は、君が今この生きている世界こそ、数分前に君がその決断を下して、何かしらの肉を食べられなくなってしまった後の世界かもしれない。とは考えないのだろうか?無論、私は考えない。
 
取り敢えず、私は豚肉が好きだ。
 
豚肉が食べられない国へしょっちゅう行かされることもあって、なおさら豚肉が好きだ。だが勿論、鶏肉も好きだし、牛肉も好きだ。何ならラム肉マトン、大好物だ。しかし、今日は、今日だけは豚肉について語らせて欲しい。今日は豚肉以外については語りたくない気分なんだ、なあそうなんだろう、俺?(ソウダヨー)
 
ついでに言っておくと、蛇よりワニの方が小骨が少なくて食べやすくて好きだ。
 
それはさておき、豚肉の良いところはやはり、生で食べられないところにある。生で食べられないという事は、ある程度の文化がなければ食べられないと言うことである。つまり、豚肉は文化の香りのする食べ物である!(蒟蒻芋には負けるが)そもそも、豚が生で食べられない理由は、生だと細菌が多すぎて体を壊すからだそうだ。
 
だからと言ってそれを焼いて喰うのが文化かと言われると、なんか違う気がしてきた。「多少毒でも焼けば食えるだろ、ハハ……」的な退廃した文化を感じる……だがそこが良い。
 
さて、世の中には豚肉が食べられない国がある。そういう国に行くと、却って豚のことを考える時間が増える。レストランに行くと、ついつい「おっ、やっぱりこの店、豚肉がねえぞ」なんておっしゃいますが、このレストラン鳥肉もねえから!牛肉もねえから!マトンもねえし、ワニ肉もな!ここは海鮮レストランだバーカ!!
 
なんて事もしばしば。外国ではやはり注意しなくてはならない。
 
また、私は豚の中でも特にバラ肉が好きだ。あの、これでもかと蓄えられた脂身がたまらない。それを、カリッと焼き上げた時の食感がたまらない。あの触感は、肉界で唯一無二の至高とも呼べるもので、他に比肩するものが鶏皮くらいしか思いつかない。無論、私は焼鳥では鶏皮が一番好きだ。
 
因みに、私は忙しくなってくると牛丼を多食するようになる。ファーストフードと言えば、ビーフであったり、チキンであったりが王道である。考えてみれば、あまり豚肉をファーストフードとして食べる機会は少ないのではなかろうか。
 
そういう意味で、忙しい現代人諸君。
豚肉を食べさせるような店で、食事をしよう。
ゆっくり食事を楽しもう。ファーストフードばかりではなく。
 
という訳で、私の今日の夕食は豚の生姜焼きであった。
 
無論、吉野家で。
 
 

塔の上のラプンツェルと塔の下のヤスアキ

唐突な題名で些か面食らわせてしまったかと思うが、これにはちゃんと意味があるので我慢して聞いて欲しい。歯を食いしばって、血の涙を流しながらでも聞いて欲しい。
 
塔の上でラプンツェルが、美しくて立派な髪をシャラリラ、シャラリラと愛でている頃、塔の下ではヤスアキが筋トレに励んでいた。それはもう、せっせせっせと、馬車馬の如く筋トレに励みまくっていた。
 
多少、胸筋に幾ばくばかりかの固さを感じ始めだした頃、ヤスアキは考えた。「もし、俺が筋トレを止めてしまうとどうなるのだろう。世界が終わってしまうのではないか」
 
この世界に嫌と言うほど絶望し尽くしていたヤスアキは、試しに筋トレを止めてみました。筋トレを止めて、Kindleの読み放題を駆使して古今の名作や、近年の駄作を読み漁る生活を1週間ほど続けてみました。ついでに食べ物も一口バームクーヘンに変えてみました。
 
するとなんと言う事でしょう。世界の理には一片の影響を与えることも出来ませんでしたが、ヤスアキはブクブクと肥え太り始めました。「これは不味いことになった」と思ったヤスアキですが、だからといってどうする訳でもなく、肥え太っていく己の体を客観的に見つめ続けました。
 
こうして、ヤスアキの輝かしい未来がまた一つ閉ざされ、ヤスアキは思惑通りに一つの世界を終わらすことに成功したのです。
 
めでたし、めでたし。
 
本日の教訓!
筋トレをしないと、肥え太る。

九死に一生、Getだぜ!

出張という言葉がある。

読んで字のごとく、出張っていくことを指すのだが、こと弊社においては出張は基本的に出張側の都合というより、要請があって社員が派遣されることのほうが多い。

 

要請対応型出張とも言えるし、指示待ち人間型出張とも言える。

因みに、私は海外担当部署なんて言う僻地に配属されている手前、その要請が海外から来ることも有る。海外から「おいで」と言われるので、「行けたら行くね」と返信すると、黙ってホテル予約と日程表が送られてくるのだ。

 

という訳で、先日も「Come on」と言われたので「うふふ♪」と返した所、いつものホテル予約と日程表が送られて参って、「これは参った参った」と言いながら、私風情がノコノコと、海外まで出かけて参ったわけであります。

 

期間は一週間。出張としては短い部類に入るが、問題は如何にして筋トレを行うかということであった。仕事などそっちのけで、私はこの問題について考え続けた。

 

プロテインはどうする。日本から持っていくか。あっの遠目に、謎の怪しい白っい粉をぉ?無理無理、俺が関税官ならその場で射殺の上、磔獄門、市中引き回しにするね。とりあえず。という訳で、プロテインは何かのために買っていたタブレットタイプのものを持っていくことにした。

 

筋トレ後の糖分は?こんな事もあろうかと、買っておきましたよ。一口バームクーヘン!これで微調整も最強、可及的速やかに糖分補給も可能、隙を一切感じさせぬ至高の布陣。

 

肝心の筋トレは?いやいや、一体何のためのトランクか。その重さ、平均して約25kg。貧弱ヘラクレスの異名を持つ私には十分すぎるほどの重量である。正に完璧!

 

そうして私は意気揚々と旅立った。いやしかし、正確には喉に違和感を覚えながらの出発であった。もう少し正直に言うと、なんか熱も出てフラフラしていた。飛行機の中でフィーバーフィーバー、一人で盛り上がって参りました状態となりながらも、一命は取り留めた。

 

しかし、その後も一向に体調は回復せず、想像を絶する喉の痛みに襲われ続けた。最初は、何のこれしき、と抵抗の気配を覗かせた私の体であったが、早々に悲鳴をあげ始めた。ツバを飲み込むだけで地獄。この状態で食べられるものと言えば、柔らかいもの。そしてただただ柔らかいだけでなく、カロリーもなければ死んでしまう。そんな都合のいいものが

 

バームクーヘン。

 

まさか、このお菓子に生命を救われるとは思わなかった。一日に僅かばかりのバームクーヘンを食し、プロテインタブレットを飲み下して細々と命をつなぐ。もちろん、出張中のため仕事は休めない。地獄のような日々を過ごした。

 

四日ほど経った時、奇跡的に痛みが引き、現地の食べ物が食べられるようになった。手元には、一口サイズバームクーヘンが2つしか残っていなかった。既の所で、私は助かったのだ……。

 

という訳で、出張にプロテインと、バームクーヘンは必須だね!

アラサー、良いもの、食べるもの

体に良いものと、美味しいものは必ずしも一致しない。しかし、アラサー辺りになってくると、体に良いものを美味しいと誤認する機能が備わってくる。
 
若い頃は、取り敢えず味の濃いものが美味しかった。私の記憶で、初めて「美味い、もっと食べたい!」と思い、盗み食いまでしたものは、塩だった。